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私が考える日本の危機解決法(第1話)No3

私が考える日本の危機解決法(第1話)No3

「どうすれば、日本の産業空洞化を防ぎ、大量失業や賃金低下を防げるか?」(その3)

5.もう今の受験型教育ではもたない(受験型教育の弊害)

これまでの日本では、受験暗記型の教育が闊歩してきました。東大などの有名大学に入ることが人生成功のパスポートと見られてきたからです。そのために、有名受験高校、有名受験中学、有名受験小学校、有名受験幼稚園、更には、有名受験予備校に入ることが重要だと思われてきました。
これらの有名受験関係校で何が行われてきたのか?最近、某省の高官と食事をする機会がありました。彼らは東大法学部出身者であり、有名受験高校出身者でした。高校1年生で、数学の微分積分を始め、ほとんど普通高校の全教育を終えていた由。後の2年間は、予備校と同じような大学受験準備をひたすらやっていたようです。毎日テストがあり、その成績者順番が教室の後ろに貼り出されていた由。劣等順番の生徒は、いつのまにか教室から姿を消していったようです。

このような典型的な競争的受験型教育ではどんな結果が起こるのでしょうか?

第1に、人と遊んだり、人と活動したりする暇がないため、対人コミュニケーション能力が育ちません。そうなると、人間関係のつまずきによって、対人恐怖に陥る人や、健全な「人とのつきあい」ができない人が激増してきます。また、このことが理由で、ひきこもりになったり、妙な劣等感を植え付けられて自信を失っていく人が多いとも聞いています。
同様に、無味乾燥な受験型科目(英数国社理など)の知識は増えても、人を魅力的にするような「生活の知恵や社会一般の常識や知恵」が育ちにくくなります。外交官だった私も過去苦しい個人体験がありますが、外国人とのつきあいをすると、その意味がよくわかります。各国外交官のつきあいの輪の中では、魅力のない人(必要情報を持たないことを含め)は徹底的に無視されてしまうのです。

第2に、受験教育では常に回答がある知識が問われるので、知識暗記型となり、自分で回答を求め模索していく能力が育ちにくくなります。つまり、設問そのものを疑い、設問の前提となる認識を深掘りしていく姿勢が育たなくなってしまいます。要は、独創性や創造力が育ちにくくなるのです。つまり、「面白い人」、「魅力的な人」がいなくなるのです。

第3に、受験テクニックが身についてしまい、テスト時間の制約上、難しい問題は先送りにしてしまうため、問題を根本的に考えたり、深い知識を身につける習慣がなくなってきます。常に、時間内で、要領よく立ち振る舞ってしまうため、真の自己認識・アイデンティティに気づけなくなり、相手に合わせるだけで自己喪失感に悩まされることになりやすいのです。つまり、自分をなくした「要領のいい人間」が激増してくるのです。

第4に、受験科目に神経が集中してしまうため、子ども・若者時代に学んでおくべき他の事象に興味が薄れてしまい、感性的な成長が遅れてしまうことになります。そうなると、受験知識・論理偏重型の「こじんまりとした人格」はできるものの、自己に内在している天性の感性が開花しなくなってしまう恐れが出てきます。論理ガチガチの左脳型人間が支配的になり、感性や直感型のしなやかな右脳型人間が生きにくくなってしまうのです。こう言うと怒られるかもしれませんが、「旧来の典型的な霞が関官僚タイプ」のマネジメント型人間が、この「左脳支配型人間」かもしれません。(勿論、官僚の中にも、感性が優れたタイプの方々もいます)

一方、現在の受験型暗記教育にも優れた面はあり、私が感じているところでは、(官僚型タイプが持つ)管理面での生真面目な整合性や総括性、天才型ではないにしても優等生的な優良性、左脳的な論理性などが認められます。これらの社会管理型教育が、日本を農業社会から工業化社会に導いてきたのも事実だと思います。
ただ、これらのマネジメント型人間は、社会の一定数いれば十分なのです。みんながそうなると、社会が活力を失い、元気がなくなってくるのです。

⇒つづく
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